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くわしいわたしの生い立ち

はじめまして、ウラゆきこです
(下のプロフィールを書いたときはまだ独身だったのですが、

ソウルメイトである彼との愛が実り結婚しました。)

 

わたしは×イチでヒーリングを生業としている独身女性でした。

 過去に17年間結婚生活をしていて現在成人している息子と娘がいます。
 彼らは元の夫(以後元ダーと表記します)と一緒に住んでいます。
 現在も彼らとは仲良く連絡を取り合っています。

わたしの人生はずっと愛すること、愛されることを求めていた人生だったと言えます。

さて少し自分語りをしてみます。

 

長くなりますし、子ども時代などは読んでいて暗くて不快になるかもしれませんが

よかったらお付き合いください。

 

【暗黒の子ども時代】

よく言われるインディゴチルドレン

(ほとんどが1975年以後に生まれてきた進化した魂たちで人間としての経験が少なく、

繊細で独自の天才性を持ち規範や常識が苦手でこれらに反抗することが多い。

新しい世界への鍵を握っているといわれている)

として、またETソウル

(サイキック達による分類で地球外のテクノロジーをもった奉仕のために

生まれて来た特殊な魂といわれている)

 

として、早く生まれてきて周りとなじめないスタートを切りました。

 

親、先生、親戚、姉妹、友達、だれもわたしを理解できず

孤独で居場所のない子ども時代でした。

家は小学校前の商店でしたので人をいっぱい観察していました。

人の思惑、悪意、大人の正当化、裏側、本音、愛のなさ、

嘘などを見抜けてしまう敏感過ぎる子どもだったので、

よくストレートに指摘しては「素直じゃない、ひねくれてる、かわいげがない」

と言われてきました。

 「それおかしい」と素直に発言することは当時は大人に対して

やってはいけないことだったようですね(笑)

当時の価値観で素直=鵜呑みだったんですね。

親は心配したのか、疲れていたのか、やつ当たっていたのか、

当時としては普通だったのでしょうか、父からの支配やDV、モラハラ。

(ノートチェックとかありました。

  パラパラマンガを描いていたら殴られました。

成績がよかったので自慢の娘だったようで100点のプリントや

賞を取った絵などをファイルしていたりもしていました)

馬鹿にされる、からかわれるなど自尊心をわざと傷つけられる毎日。

母からは無関心と言葉の暴力を受けて育ちました。

一緒に住んでいた叔母たちは妹がかわいかったようで

よく比べられたりわざと差別されました。

家の中には服従と支配、軽侮と屈辱という上下関係しかありません。

当然、人間関係のルールは覚えられず友達を作る方法を知りませんでした。

 

小学校に行くと友達が校庭を走って逃げました。

遠足では誰も一緒にお弁当を食べてくれませんでした。

小さな悪意に傷ついてすぐに泣くのでそれが甘ったれていると

友達にも先生にも言われました。

 誰も味方がいないこの世界。

夜も疲れてぐっすり朝まで眠るなどという安心で幸せなことを一度も体験したこともなく、

ただ自分の成績のよさだけが自慢で、勝ち負けだけを気にして、戦っていました。

低学年のときから毎日死にたいと思って生きていました。

でも食いしん坊でどこか楽観的だったので、

来月はクリスマスでケーキが食べられるからそれからにしようとか

そんな風に楽しみを考えて1月1月をだましだまし生きていました。

どこかで自分はしなくちゃいけないことがあるように思ったし、

生きることは修行なんだととも思っていたのです。

「孤独で寂しい」と作文に書いても先生はこう言いました。

「本当にさびしい人は寂しいなんて言わないものだぞ」と。

 全ての人間が自分にとって敵でした。

友達がほしい、人と仲良くしたいと思っていました。

でも友達の作り方は誰も教えてくれませんでしたし、

人のことを好きにもなれませんでした。

いつも心の中で人を批判していました。

 

【仲間にあこがれた中学高校時代】

思春期になって1人でいること嫌われていることがかっこ悪いなと思えてきたので、

なんとか友達を作ることを頑張ろうと思いました。

でもうまくいきませんでした。

 

1年のときはクラスの女子のほとんどに放課後に教室に呼び出されて

「あんたの歩き方が嫌い」「笑い方がいや」

「あんたのそういうところ直した方がいい」

と理不尽なことまで言われました。 全否定です。

 

でも今考えると心根はいい子達でした。

最後は一緒に泣いたのですから。

これから仲良くしていこうって思ってくれたのですから。

わたしはとりあえず全部、自分を作り変えることになりました。

彼らが嫌いって言った部分を隠すことにしました。

男子と仲良しで一緒にいることは楽でしたが、

女子に嫌がられたのでそれも封印しました。

そしてそこから自分がもうわからなくなってしまいました。

小学校から唯一仲良しだった子が不良グループ今で言う

ヤンキーグループのトップになりました。

そこのグループの子たちは、わたしから見たら単純で人の言うことに

流されるし、常識を知らないし、心の中でバカにしていました。

当然嫌いでしたし、相手もわたしを嫌っていました。

でも屈折しているわたしは自分を大事にするということが

わからないので自分を嫌っている人間に好かれないといけないって思っていました。

まあ、人間がみんな嫌いだったのですけれどね。

唯一好きだった友人のそばに居たかった。

それであるとき生意気だってその中の1人に呼び出されて タイマン

(1対1の喧嘩)を先輩の前ですることになりました。

繊細で痛みに弱いわたしが勝てるわけないつーの!

負けましたよ髪の毛ごっそり抜けました。

 頭の皮膚は血だらけでした。帰りに校庭を歩いていたらそのまま気絶しました。

喧嘩を見ていた先輩に「あいつは根性ある」って気に入られてその

ヤンキー(スケ番)グループに入ることになりました。(時代ですね~)

 朝、一緒に行くので迎えに来る不良仲間。

 待ち合わせしてみんなでかようんですよ。

当時学力テストで学年1位というのを取ったりもして、

わたしはお前らとは違うと仲間のことを下に見ていたし、

彼らもわたしを嫌っていたと思います。

でも仲間が居て1人じゃないんですよね。

不良だと一目置かれてクラスでも相手してくれる人が数人出てきました。

なんとか友達っぽい人が、本当には仲良しじゃないけれどできるようになってきました。

 友達というものの楽しさも味わってみたり、友達っていいなって思ったり。

でもやっぱりうまく付き合えずに最後は嫌われてしまいました。

それでもクラス全員から嫌われるってことは無くなり、

ちょっと天然気味の子とか不良にあこがれる子とか

 少しだけ友達っぽい人もできました。

結局先輩がいなくなったら不良仲間から追い出されてしまいましたが、

当時は自分からやめると集団でリンチされましたので

1人の仲の悪かった子に蹴り飛ばされはしましたが、

クビはラッキーだったのかもしれません。

その頃、父が入院して長女のわたしが毎日晩ご飯を作るようになりました。

不良をやめたので夜は家にいることになったし受験だし

ちょうどよかったのかもしれません。

受験のために塾に行くのですが、その先生はわたしを理解してくれました。

「ゆきこは転んでもただじゃおきない」

その言葉がわたしを励ましてくれていました。

ご飯を作ってから塾に行くのでいつも塾に遅刻します。

妹はそういう姉が恥ずかしいと言ってましたが、

先生は「ゆきこんちは今日は何だ?」と聞いてくれました。

中の上くらいの高校に無事合格しました。

入学して1週間、合格を病院の人に自慢して父は亡くなりました。

 暴力を振るうとはいえ母よりもわたしに関心をもってくれた父を失い、

ショックで腰椎椎間板ヘルニアになってしまいました。

そして自分を支えてくれる人を求め、

孤独を癒してくれる人を求め、愛を求め、7つ上の元の夫と知り合いました。

【愛について彷徨った時代】

元ダーはハンサムで背が高くて本当にいい人でした。

誠実に愛してくれました。

でもわたしは愛し方も愛され方も知らない、

関係性を大事にする方法も知らない、素直に表現できず、

試したり、裏切ったり、浮気したり、許すこともあわせることもできず、

待つこともできず、信じることもできず、愛を受け取れず、

ただ愛をほしがるばかり。心に安心が無くて、いつも焦って、

いつも苦しくて悲しくて、何度も何度も試して苦しめました。

たくさんの人に思われたら救われるのかと

同時進行でつきあったりしても、

わたしの心はいつも痛いまま癒されることはありませんでした。

愛されたことで、自分の痛みを知ってしまったのです。

そして親に向けるべき怒りや攻撃性を彼にぶつけたり、

反抗期のように荒れ狂ったり、

自殺未遂のようなことをこれ見よがしにしてみたりしました。

 彼はわたしを100%愛するという契約を持って、

ここに生まれる前から契約をしてきた存在だったので、耐えてくれていました。

魂の世界では逆に、わたしが先生で彼は生徒。

わたしのここでの生活をサポートする契約でした。

「あなたはきっと大人になったらすごい人になるよ」そう言って励ましてくれました

穏やかに誠実に愛し続けてくれました。

さすがに時に彼も切れたりもしましたが(笑)

わたしに愛をもって見守ることを教えてくれた存在です。

本当にすばらしい人でした。

やっと自分が生きていていいんだって思えました。

高校時代にヘルニアが悪化して2回入院をして手術をして高校をだぶりました。

 2年を2回やりました。

プライドの高い、プライドしかないわたしが教室で後輩に授業中に会釈されるんですよね(笑)

ああ、もうこれはなじむしかないって思いました。

1年のときはうまく友達ができなかったけど、今度はうまくやろうと思いました。

合わせること、折れることもしようと思いました。

やっとできた1つ下の友達と今でも繋がっています。

この2つの経験がわたしに与えてくれた変化は本当に大きいです。

人を好きになることや人を許すことをできるようになりたいと思わせてくれた。

高校を卒業して19歳で結婚しました。

だって彼がいることでわたしはやっと生きていられる状態だったのですから 。

【母になる経験】

 現在わたしには2人の子が居ます。

28の息子と25の娘です。

離れて住んでいますが、今もとっても仲良しです。

娘は困ったことがあるとちゃんと相談をしてきてくれます。

今の夫とも仲良しで3人でカラオケに行ったりします。

そういう関係を作れたことが本当に嬉しいです。

でも、子育ては最初は簡単ではありませんでした。

自分自身でさえまともに扱えないのに子どもを持つなんて・・・

わたしには必要な経験だったのでしょうね。

彼らがわたしを育ててくれました。

最初は自分が世間に責められるのが怖くて、

子どもに厳しかったし口うるさい子育てをしていました。

理想を押し付けるような・・・マニュアルで頭でっかちな母親。

ちゃんと愛することやケアをすることを自分がされていないのでできないのです。

当然、息子は萎縮した弱虫さんになりました。

2人目の子を産んだときに完全母乳で育てたいと思い、マッサージの先生に通いました。

その方はマクロビなどをしている人で、わたしもいろいろ学ばせていただきました。

時にはあなたには感謝が無いと叱ってもいただけました。

その時は理解できなかったのですが、人を叱るということを

してくださった大きな愛に今は感謝しています。

母乳を搾ったりしてもらうと空気が入ることや、

エネルギーが動くこともわかってきました。

そして娘が単純にかわいくて、

愛することが難しいことではないのだと知りました。

そこからスピリチュアル世界にも入っていきました。

息子がいじめられっこになったことで、

年上のボス的なお母さんにいろいろアドバイスをもらって、

その中でもどんどん積極的になっていきました。

その人にもかわいがられました。

 娘の幼稚園のPTAの会長とか、地区のブロック長とか息子のPTAの実行委員会とか、

表に出て人の上に立つことも学びました。

あるとき、そのボスのお母さんと仲たがいしました。

初めてわたしは息子のために泥をかぶってもいい、

息子を守るぞ!と腹をくくりました。

初めて自分から愛した瞬間だったのかもしれません。

最初は心から愛しているというより愛しているつもりだった息子。

でも彼との関係がそこからどんどん改善しました。

彼が中学のときに友達に理不尽な意地悪をされたときがありました。

裏では泣きましたが、彼の前では明るい顔をして

「大丈夫!」と彼を苦しめないように笑うことさえできるようになりました。

彼を信じてただ見守ること、自分の痛みを彼のために見せないでおくこと、

その経験がわたしを強くしてくれました。

そして彼は自分自身でそれを乗り越えました。

そんな彼も今では立派な俺様になっています(笑)。

そういう経験がわたしの心を育て、わたしはどんどん強くなりました。

子育てを通して根気も育ちました。

(だってやつら、毎年8月31日に大騒ぎすんですよ(笑)

そう、夏休みの宿題です。

判ってるならばやればいいのに何回言ってもやらないんですよね。

そして毎回、見捨てずにしょうがないなあーと手伝う母でした)

子育てって繰り返しですものね。

何回も言い聞かせる、何回も怒って許して、愛し続ける。

諦めないこと、焦らないこと、愛すること、許すこと、

引っ張らずに自ら育つのを待つこと、大切な関係を育てることができるようになり、

子育てを楽しんでできるようになりました。

いろんなことをしました。

うどんを打ったり、餃子を皮から作ったり、夜なのにスコーンを焼いて

アフタヌーンティしたり、アルゴリズム体操を一緒に踊ったり。

彼らと楽しい思い出をたくさん作りました。

スピリチュアルな世界での学びも始めていきました。

 実際の生活、子育てから学ぶことは大きいですね。

母親って 許すし、待つし、諦めないし、見捨てないで育てていきます。

また占星術、タロット、オショー霊気、西洋霊気、ネオ霊気、形而上学、

神秘主義、クリスタルワーク、シャーマニズム、マジック、

直伝霊気、祈り、カバラ、アロマ、チャネリング 、ヒーリング、

瞑想、そのほかも学びました。

わたしが自分を癒しうけいれていくと、

親や姉妹との関係も周囲との関係も円満なものに変わっていきました。

生まれてきてあんな風に育ったことが全て許せて納得できています。

生きることが楽しくなりました。

【スピリチュアルな活動開始】

だんだんと自分の生きてきた道の目的が学びを進める中で見えてきました。

地球にフィットできない人たちを癒し、フィットさせる才能があるといわれて、

2000年に活動を始めました。

大変な思いをしてまで生きてきたこと、2人のインディゴを育てた中で、

かつて自分がインディゴとして先に経験してきて

いつもなにかを忘れてしまったような感覚がありました。

でもヒーリングをしてエネルギーを流しているときに

「あ、これが正しいわたしの使い方だ!!」と理解できたのです。

今、生きるのが苦痛なインディゴたちの居る場所は、

今は辛い場所だけれどわたしはそこから抜け出る方法も癒すことも知っているし、

見失った自分を取り戻す方法も知っているのです。

旧MMS(※1)で学びを深めガイド(※2)、リチュアルマスター3rdステップ(※3)となり、

イシス神殿の神官 (※4)を卒業、ギフトという特別なツールも伝授されました。 (ヘルメティック・レイヒーリング)

(※1):古代の叡智を伝える世界に7つあるミステリースクール。わたしはそこで技術を学びました
(※2):アデプトというプログラムを為すことを許可された階級です。
(※3)目に見えないエネルギーや儀式を扱う専門的なクラス。

2ndまでは自分で進めますが、3rdは上からの許可でなるものです。
(※4):リチュアルマスターが行う世界に愛と情熱を生む女神の神殿ワークを取り仕切る役割のカウンセルです。

そしてさらにフルフィルメント瞑想、ワンネスディクシャを学び、

2010年にはインドに行き、ワンネスディクシャトレーナーとなりました。

愛について】

この仕事を始めた頃、元ダーと一緒にあるサイキックのチャネリングを受けました。

「今年中に離婚するだろう。彼はそれによってハートが痛み、

ハートが開き、彼の仕事を始める計画だ」

夫婦仲は良かったのでお互いにびっくりしました。

世界でただ1人最後まで味方でいられる同志だと思っていましたから。

でも、本当にそうなりました。

「もう愛していない。離婚したい」と彼が言いました。

言われた時、100%愛する契約が終わったのを感じました。

 

浮気とか喧嘩じゃなく、相手に不満もなく、

契約が終わったときに別れるのは感情的な執着もそんなに無くて、

「ああ、終わったんだな、いい関係を作ることができたしお互いによくやったな、どうもありがとう」

そんな気持ちになりました。

彼が子どもを引き取り、わたしを最後までサポートして、

わたしがやるべきこの仕事に集中できるようにしてくれました。

 今でも娘のことで連絡を取ります。

人生のパートナーではないですが、大変感謝しています。

1人になってみて解ったことはわたしは19で結婚していたのでぜんぜん自立できていませんでした。

 毎日悲しくて寂しくて泣きました。 孤独でした。

人には泣くことしかできない時もあるんですね。

好きだった人に誤解されて罵倒、中傷されたり、

仲良しだと思っていた友達と距離ができたり、思うように仕事が来なかったり、

良かれと思ってしていたことが全く理解されていなかったり、

これでもかこれでもかと全てを失う出来事が続きました。

ただ我慢するしかできなくて、ただ泣くしかできなくて、

朝まで吉井和哉さんの歌を泣きながら歌う日々。

 隣がカラオケボックスなので、夜中の12時から6時まで1人で歌いにいったりね。

自分で生きること、自分で決めること、そしてちゃんと生きること

当たり前だけど誰も代わってはくれないのです。

 責任を持つこと、自分を大切にすること、そして恋すること、

女性としてのときめきそんなことも思い出しつつ離婚して4年経って

それらがちゃんとできてきて生活を楽しめてきた頃に、今の彼に出会いました。

すっぽり抜けてしまっていた、女性としての喜びやトキメキ

自分が女性であることを楽しんでオシャレしたりお手入れしたりすること、

人生のご褒美のように、わたしを潤します。

ロマンティックなデート!

髪を撫でられること!

なんて幸せなんでしょう。

愛を一度無くしたからわかるありがたみ。

家庭に入っていて20代は子育てに全部使ってしまい、

ライブ行くとか旅行とかしていなかったわたし。

 味わっていない別の人生をもう一度味わえる喜び、

人生の豊かさを共に楽しむパートナーがいる生活は心を満たします。

彼は12歳下のかわいいイケメンです (ま、好みはあるでしょう(爆))

同じ感覚を持つ魂のパートナーそして食いしん坊同士(笑)

 本当の愛、男女間の愛、性愛について、人生を楽しむことについて、

人生で作ってきた深い暗い部分を一緒に向き合い癒しあえるような、

すべての質をさらにあげていけるような、

自分を磨き上げるような関係を今、作っています。

全く違う人間が結びつくこと、それは簡単ではないです。

自分の考えやプライドや器を壊して新しいものに作り上げる作業ですから大変です。

それでも愛があると乗り越えられるのです。

自分を変えられるのです。

そして愛することを通して愛を受け取ることも学ぶのです。

愛が人を癒し、愛が人を育てます。

そばに居るだけでハートが開き、心が満たされる状態、

愛に満ち喜びと共に生きる人生です。本当に幸せな現在を生きています。

そしてもう1つのわたしの特色である「女性性の光線のマスター」の部分が

この恋愛を通して、母性とはまた別の形で開かれてきました

チャネリング契約のある月の女神アルテミスと共に、

多くの女性に女性性を開いて

「愛すること、愛されること」ができるようにインナーチャイルドを癒して

男性恐怖や人間不信を取り除いたり、

潜在意識を書き換えてパターンを変えたり、ラブマジックで愛を引き寄せたり、

愛される自分になれるように自分を好きになったりできるような愛についてのワークをしています。

当初、わたしを好みではないと言っていた彼、

付き合いだしても先のビジョンは無いと言っていた彼が

わたしと付き合う中で深く愛される経験を通し、

自分を許し、自分を好きになり、本当の癒しを起こし、

自分が一番ほしかったものを手に入れることが出来たと言い、

12歳の年の差を超えて結婚しました。

今ではすっかり愛妻家です。

ますます幸せになっています。

【東洋の学び】

2010年ワンネスディクシャを伝授できるトレーナーとなりインドより帰国しました。

ディクシャは自由で苦しくなく無理なく意識を変えていけるツールです。

現人神であるバガヴァンのダルシャン(面会)でわたしはただ愛されていることを

体で実感しました。

頭じゃなくハートが受け取りました。

ハートが開き、愛がそこにあり、涙がでるだけです。

何もわたしの持っているものでバガヴァンにあげられるものなんてないのです

何も求められていないしわたしの持っているものごときで

全てを持っているバガヴァンの何も満たしてあげられないのです。

でも祝福も愛もわたしたちが求めるものはなんでもどんどん与えてくれるのです。

どこまでもただ「愛」なんです。

 神に対する認識も変わりました。

わたしたちは頼んでいいのです。頼っていいのです。

最後に神聖な力が加わってわたしたちの人生は願いは完成するのです。

求めることが人の仕事で叶えることが神の仕事。

決して畏れる存在ではないのですね。

そう思ったとたん、神との関係がどんどん近く仲良しになって

アンマとバガヴァンともっと仲良くなって

願いはどんどん叶うようになってきたのです。

今まで自分が操縦席にいて運転してきた人生から

神に運転を任せて助手席に座る人生に変わりました。

 安心して委ねても大丈夫。

自分が頑張らなくても大丈夫だと今は解りました。

さらに別角度からみたわたしを振り返った記事

「こころとからだと平和のバトンより」

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